どん底だった組織が、過去最高の業績を更新するまで。

企業概要
所在地:兵庫県
業種:自動車整備業/製薬業
お話を伺った方:腰山様(SV)

取り組みの背景
創業70年。自動車整備工場と製薬会社を運営する企業で、腰山様は二代目社長の息子として、自動車部門の立て直しに向き合っていました。当時の状況について、こう振り返ります。
「組織と呼べるような状態ではなかった」
社内には明確なルールも評価制度もなく、長く勤めた一部の人間が年功序列で力を持ち、それぞれが自分のやり方で動いていました。社長は製薬事業にかかりきりで、自動車部門には舵取りをする人がいない。自動車整備工場の赤字は製薬部門の利益で補填され、事業として成り立っていない状態が続いていました。
現場にも「このままではまずい」と感じている人はいました。けれど、旗振り役となるリーダーはおらず、改善の方法すらわからない日々が続いていたといいます。腰山様自身も精神的に疲弊していました。
「とにかく助けてほしいという気持ちが、最初のスタート地点だった」
コトノハ・ラボを選んだ理由
腰山様と荒木(コトノハ・ラボ代表)は、20年来の付き合いです。荒木がまだ現場で整備士として働いていた頃、同じ職場で一緒に働いていました。
「当時から、すごい人だなと思っていた。若いのにこんなに活躍してるんだなって」
その後コンサルタントとして大源モータースを担当し、さらに独立した際も、腰山様は迷わず支援を依頼しました。
腰山様は「社長の息子として全部やらなければいけない」というプレッシャーの中で、自己肯定感が低くなっていたといいます。過去に関わったコンサルタントからは「こうすべき」「その考え方ではダメ」と言われることが多く、それが余計に自分を追い込んでいました。
荒木の関わりは、まず腰山様の本音を聞くところから始まりました。「それでいい」と肯定した上で、「じゃあそれを実現するにはどうすればいいか」という方向に進んでいきました。
「親身になってくれてるんだなって、改めて思った」
支援の中で起きたこと
最初に取り組んだのは、腰山氏が現場業務から離れることだった。
「まさか自分が抜けて組織がうまく回るなんて、想像できなかった。その方がいいのはわかっていたけど、抜けることに一番抵抗したのは自分だった」
周囲のスタッフに働きかけ、腰山様が現場を離れても回る体制を先に整えました。本人が「やっていいんだ」と思えるように、外堀を埋めていく形です。
現場を離れた腰山様は、マネジメントに専念する時間を得ました。そして、まず取り組んだのは「透明性のある評価制度」の構築。従業員が納得して働ける仕組みを、一からつくっていきました。
並行して、予約の受け入れ体制の改善、Web集客の強化、生産体制の見直しにも取り組みました。
変化と成果
車検台数は、1,500台を下回ることもあった時期から平均1,800台に回復し、過去最高の2,000台超えを達成。新規・継続ともに顧客獲得率が向上し、営業利益も改善しました。
ただ、腰山様が最も実感している変化は、数字ではない部分にあります。
「以前は社内に派閥があって、互いに対立し合うような空気があった。今は部門ごとにチームとしてまとまっていて、誰がリーダーかも明確になっている」
スタッフの表情が明るくなり、報告や相談の頻度が増え、自発的な改善案が出るようになりました。若手から「私がリーダーをやります」と手を挙げる人も現れています。
「あの状態に戻りたくない。だからあえて明るく接する、あえて大きい声で挨拶する。そういう人が一人、二人と増えていった」
これからのこと
創業70年の同社が次に見据えるのは、あと30年で迎える「100年企業」という大きな節目です。
「目先の利益を追求したり、端的な売り上げだけを目指す経営はしたくない。地域の方々から信頼され、従業員がここで長く働きたいと思えるような、持続可能な会社にしていきたい」
今後は、業績だけでなく、職場の雰囲気づくりに貢献するスタッフも正しく評価できる仕組みを整えていきます。属人性を排除し、誰でも安心して働ける土台をつくることが目標だといいます。
迷っている経営者の方へ
「以前の自分は、『会社経営はつらくて厳しいもの』『経営者は身を削ってナンボ』だと思い込んでいた。でも、それは勘違いだった。従業員の皆さんの個性にフィットした働き方があるように、自分のパーソナリティに合った経営のやり方があっていい。ただ、一人でスタックしている状態から自力で抜け出すのは、本当にきつい。だったら、俯瞰して助言をくれる人に委ねてみるのが、一番手っ取り早いと思う」(腰山様)